読書の日記

読書の備忘録です。いろんな本を読みます。ぼちぼちやるので見ていってください。

75.火星に住むつもりかい? 伊坂幸太郎

75.火星に住むつもりかい? 伊坂幸太郎

 

比較的新しめの伊坂作品。系統は魔王とか、モダンタイムス、キャプテンサンダーボルト、ゴールデンスランバー系。

強大な人や権力と対立し、対決する系のもの。内容はとても面白かった。序盤は平和警察による権力の行使を淡々と見せる。

 

そこからヒーローが現れるが、物語の終盤までヒーローの描写はなしに進む。

ヒーローをヒーローたらしめるものはなにか、正義を振りかざすことや善いことをすることと考えるのが一般的である。しかし、3章(物語の3分の2ほど進んで)ヒーローの心のうちが暴かれる。善いこと、をする範囲はどこまでなら偽善ではないのか。二世代に渡り善行を働いてきたと思ったらしっぺ返しをくらった親、祖父をみたヒーローは葛藤する。世間の叫ぶ声は個人としてではなく集団となったとき巨大な狂気となる、とは伊坂作品では比較的どこでも言われ、喜劇王チャップリンも同じようなことを述べている。世間と自分の守れる範囲を守りたいヒーローの心境を見るとともに善い行いとは何を指すのかを考えた。私は堅苦しい、ここからここまでは守る、などではなく自分の思った時に、自分の手の届く範囲で守れるもの、やってあげられることをしたいと思った。たしかに公衆の面前では羞恥や不安が過ぎり、行動に移せないこともある。しかし、それはそれでいいいいのではないかと思う。

 

また、今作のヒーローがヒーローになったのは自身の環境が劇的に変わり、考えたくないことを考えないため、平和警察への不満を晴らすために行動を起こし、短絡的に行動する。自身の行動に大義名分をつけ、正当化する。危うい思想であると本文でも載っている。テロリストと同じ思考である、と。この部分の葛藤が述べられなければ読者からすれば正義の味方であることは間違いなく、また助けられた側も彼を正義の味方と呼ぶだろう。本の中の世間からすればテロリストのような印象になる。ただ内情は半ばやけっぱちになった短絡的に行動をする、男がである。ものごとは決して、一面のみで語れない。こいつが、ヒーローでいいの?とただの活劇ヒーロー物にするではなく、読者に若干の考えるの余地を与えてくれるのが、伊坂作品の好きなところでもある。

 

もう一つ、本作において語らずには避けられないストーリーがある。平和警察の内部である。一概に平和警察といっても一枚岩ではなく、内側から擬態をし、能ある鷹が爪を隠すがごとく、権威者を失脚させる。外側からも擬態を施し、失脚へのストーリーを歩ませる。権力者には媚び諂い、部下には大仰な振る舞いをする、典型的な嫌われる上司とかたや切れ者の捜査官は己を擬態させ組織の内部から改革を促すための作戦を練った。

 

2つの正義?により、後味はすっきりする話である。キャプテンサンダーボルトのように作品中の正義の味方たちのハッピーエンドのわかる形で終わる作品はいいなあと思う。

 

 

あとアイネクライネナハトムジークと、実験4号と、最新作のAX(グラスホッパー、マリアビートルに続く、殺し屋小説らしい)を早く読みたい。