読書の日記

読書の備忘録です。いろんな本を読みます。ぼちぼちやるので見ていってください。

66.ブータン、これでいいのだ 御手洗瑞子

66.ブータン、これでいいのだ 御手洗瑞子

 

僕は、伊坂幸太郎著の「アヒルと鴨のコインロッカー」でブータンに興味が湧いた。アヒルと鴨のコインロッカーに出てくるブータン人のドルジがとても魅力的なキャラクターであり、日本人と顔が似ている国、ブータン。最近、ワンチュク国王が来日したのもあり、幸福の国として取り上げられるブータンという国を知りたくなった。

 

どのような経緯でこの本を買おうと思ったのか、見つけたのか記憶が定かではないがすぐにamazonで注文した。

 

本書の作者は初代首相フェローとしてブータンに渡った。テレビや言葉でしか知ることのないブータンの生を、良いところも悪いところも伝えてくれた。

 

僕が特に驚いたのは主に3点。ここに記さないことも様々書いてあるのでこの3点だけを見て気になったら読んでみると良いと思う。

 

1つ目は時間について。ブータン人の時間は今があるだけなのだ。この言葉だけではよくわからない。では、日本人の時間感覚はというと、抽象的なモノサシである。これから先ずっと続く中での一点が今であり、それは人にもよるが80前後まで途切れることのないもの、という感覚だと思う。途切れることがないからカレンダーを用い、手帳に予定を書き込む。それはこれから先も長く続くことを想定して作られるし、書かれる。ブータン人に戻るが、ブータン人にとっての時間とは感触のある今なのかもしれない、と紹介されている。

 

予定があると、特にたくさん詰め込まれている場合は予定を消化することが目的になってしまいがちだし、先があるとわかっていると、今を全力で楽しめない場合があるのかなと思った。もちろん、予定を立てないと日本ではやっていけないし、予定を立てないことが絶対いいとは全然思わない。ブータンでも会議の予定などはみんながいる頃を見計らって、会議するよ〜と声をかけるらしい。とても非効率なことだと思う。ただ、先が見えるということは、期待も先に伸ばせてしまうので「今を生きる」ということは学びたいと思った。

 

2つ目はインドとの関係。ブータンの歳入の2割はインド政府からの援助なのだ。そして病院や学校(ブータンは医療費教育費が無料)の多くもインド政府の支援で建てられている。最大産業の水力発電もインド政府との買取契約に頼っている状態。つまり、インドの支援無しにブータンは成り立たないと言っても過言ではない。このようなことや文化の違いも相まり、インド人の目が傲慢に見えることがあるらしい。礼節を重んじるブータン人からすると粗野な行動に見えるらしい。支援する側、される側という関係があるから余計にそう感じるのかもしれない。

しかし、問題はこちらだ。ブータンの一人当たりのGDPとインドの一人当たりのGDPを比べると2000ドル程度ブータンが上回っている。そのことから、インドの労働者を低賃金で雇い、トイレ清掃業や建設業にあてる。ブータン人は慈悲深く知らない人にも親切に応対してくれる、しかしことインド人においては口を紡ぐらしい。思いやりの深いと言われるブータン人、その思いやりの範囲にインド人が入らないことを筆者も複雑な気持ちだ、と述べている。

 

支援する側、される側という立場にありながらGDPはインドの方が低く、ブータンに出稼ぎにくるインド人はブータン人の思いやりの深さを知らない。一面のみ捉えれば、日本人の視点ならば親切で幸せな国、ではインドから見たブータンはただの小国で終わるのだろうか。ブータンで働いているインド人、インドに住んでいるインド人のブータンへの印象も聞いてみたいと思った。

 

 

この感想文を始めてから一番長いのではないかと思う。まだみぬ国への興味がこれほどある自分に驚いている。またそれを知らせたいと思っている自分にも。言葉の表層や、よく知りもしないで悪口言ったり、馬鹿にしたりするのがきらいだった。しかしこのブータン、これでいいのだを読んでいい意味に捉えていた幸せの国のありのままを見せられて自分もベクトルは違うが同じなのだと思った。

 

もう少し、続きます。

 

3つ目は幸せになること、幸せの国とは。ちょっと上二つが長すぎて、飽きてきたと思うのでとても簡潔に書きます。

ブータン仏教国です。また輪廻転生が信じられています。そしてブータンはお葬式での祈りの時、そのお祈りは死者のためのものではないのです。では、誰のために祈るのかというと、生きとし生けるものすべてのために。輪廻転生で皆がつながっているため、遺された人たちのために。遺された人たちが悲しみから救われて前を向いて歩いていけるように。だそうです。

日本では絵馬や神社でお祈りするとき、ほとんどは個人的で世俗的なものです。現世がすべて、と考えているから取り返しがつかない気がしてつらくなる。

またブータンでは幸せとはなにか、という問いに家族や友人が幸せで、一緒に居られること。と答えた方がいるそうです。他の人に聞いても似たような回答で、日本人にとってはたいそうな悩みでもブータン人はそれをおくびにも出さない。

ブータン人は幸せだと感じる範囲が広く(家族や友人たちの幸せ)そのため、幸せを感じやすいのかもしれません。

そしてGNH(国民総幸福量)コミッションの長官は自分が幸せになりたいのなら、他人の幸せを願って、そのために何かをすることが大切だ。自分の幸せを探していても、それは見つからない。と言ったそうです。私たちが幸せの国のブータンに行く理由は自分の幸せのためなのではないだろうか。それでは本末転倒になってしまう。そんなでは本当の幸せは見つからないことをブータン人は知っている。

 

全然簡潔ではないですね、、、。ブータンの幸せ観は全てを取り入れたいくらい(私は仏教徒ではないですが)だった。もちろんブータンという小国を維持、繁栄するにはまだまだ問題がある。それでも楽観的に、みんなの幸せを願いそれが叶っていることが自分の幸せであると感じられるブータン人をとてもいいなと思う。まさに「足るを知る」という言葉がぴったりだと。とりあえず自分の特に驚いたところ感銘を受けたところ3つをざっくり説明、感想を述べましたがもしこれに興味を持って、本書を手にとってもらえれば幸いです。