1.マリアビートル 伊坂幸太郎
繋がりのあるとされるグラスホッパーを読んでからのマリアビートル、面白かった。すっきりする終わり方ではあったけれど、蜜柑と檸檬は好きだったので殺してほしくなかった。
運の悪い七尾、運のいい王子、
実はお互いに知ろうとしていた蜜柑と檸檬、
アル中木村と伝説の殺し屋木村
前作グラスホッパーの鈴木、あさがお(漢字出ず)と雀蜂
彼らの視点から繰り出される物語は微妙に疑問を残し、また快活なセリフ、軽快なテンポで「巻を措く能わず」状態にならざるを得なかった。
また、伊坂特有ともいえる、その時々の社会問題に対しての投げかけ、登場人物の解釈という形で提示しているものも、私の使っている、中学生のテキストの中の論説文にあり、自身も考えさせられるものとなった。
今回はなぜ人を殺してはいけないのか?という問いに対し大江健三郎がテレビの討論番組でそんな問いを持つのは人の尊厳がないからだ、みたいなことを言った(正確には覚えていない)ものだった。
本作では王子が関わりを持った大人たちに聞いていく。しかしその答えは彼を満足させるものではなかった。しかし鈴木が示したものは納得のいくものだった。
とてもざっくり言うと、
取り返しのつかないものを壊す、という意味では他のものでも言える
人は自分の安全が保障されていないと経済活動がままならない
ということだった。拙い説明で申し訳ないが、詳しくは本書で。
蜜柑と檸檬について死んでほしくなかった、と上で言ったが彼らも殺し屋である。人を殺してきたからそいつも殺されて当然、という訳ではないが2人ともあっけなく死んでしまった。これは彼らがどれだけ魅力的であろうと、そこら変にいるハッピーエンドを迎える善人ではないことが強調されているように思う。最後の救いとして七尾が蜜柑と檸檬をくじ引きで当てるが、その程度である。
陽気なギャングシリーズもそうだが、彼らがやっていることは、確実に悪いことであるのにコミカルに描き、彼らに惹きつけられるのは彼らに人間味が備わっているからではないだろうか。その話は、また次回。